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エジプトの旅(その4:アスワンはダムだけじゃない) [旅]

ピラミッドが見えるギザのホテルをあとにして、カイロ空港からアスワンに飛ぶ。アスワンと聞くと、かの有名なダムしか思い浮かばないが、もともと象牙や金などの交易地だったので、遺跡もたくさん残っている。そして、昔はアスワンから南はヌビアの国だった。この地には今でもアフリカ系のヌビア人が住んでいる。

カイロ空港.JPG
カイロ空港にはイスラム教徒のための祈りの部屋があった。

船の運転手.JPG
アスワンで昼食をとるレストランまでボートに乗る。三度目でようやくエンジンがかかる。

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ランチはいつものアエイシ、ペースト、スープが出て、メインはナイル川で獲れる魚をトマトで煮込んだタジン・サマク。白身の魚が意外に美味しかった。

貴族の墓1.JPG
再びボートに乗り、対岸の貴族の墳墓を目指す。

ヌビア人1.JPG
ヌビア人のアシスタント

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上陸したら、ロバやラクダがいた。階段を100段くらい上るので、KさんとA夫人はラクダに乗る。

貴族の墓2.JPG
岩窟墳墓は40基くらいあるらしいが、見学したのは約4千年前の2基。中の壁画は見事だった。

貴族の墓からの眺め.JPG
岩窟の前から眺めたアスワンの町。

帆掛け舟.JPG
墓見学のあと、ファルーカ(帆かけ船)に乗り、イシス島にあるホテルに向かう。

帆掛け舟からの鳥.JPG
船から空を見上げたら、鳥たちが一糸乱れず1列になって飛んで行った。

ヌビア人2.JPG
ファルーカの船長と息子。ヌビア人の船長さんはエチオピアのアベベのような風貌で、息子さんもなかなかのハンサムボーイだった。

ヌビア人3.JPG
船に乗り込んでいたヌビア人が奏でる音楽と歌に誘われ、私たちも一緒になって歌い踊った。全員の気分が高揚したところで、ヌビア人が私たちの目の前に広げたのは、なんとおみやげ用のアクセサリー!5~7ドルの手頃な値段だし、デザインも面白かったので、皆で買ったが、さすが、商売のやり方が上手い!と感心してしまった。恍惚とさせて買わせるなんて、まるで霊感商法だわ。

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宿泊したホテル、Isis Island

ホテルのレストラン.JPG
ホテルのレストラン。島なので、ホテルで食べざるを得ないということもあり、レストランが広い。食事はすべてビュッフェスタイル。

夕食.JPG夕食1.JPG
旅行中はつい食べ過ぎになるので、今回は腹八分目にしようと肝に銘じた。体調が良かったのは胃腸に負担をかけなかったせいだと思う。たくさん食べたいと思うような美味しいものがなかったというのも食いしん坊の私にとっては幸いだったかもしれない。

ホテルからの朝の風景.JPG
ホテルからの朝の風景。魚を獲る人のボートが浮かんでいるだけの静かな朝。

コックさん.JPG
朝食にオムレツを焼いてくれたコックさん。エジプト風と言って作ってくれたオムレツはなんにも入っていないプレーンオムレツだった。

朝食のパン.JPG
西洋風パンがたくさんあったが、パサパサしていて味はいまいち。

朝食.JPG
朝食にはヨーグルトとソラマメやインゲン豆の煮たものを常に食べていた。

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アスワン空港に向かう途中、バスを止めて砂を採集。サラサラしていて、すごく細かい砂だった。Yさんがちゃんと砂を入れるためのフィルムケースを用意してくれていた。
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エジプトの旅(その3:アレキサンドリア-クレオパトラのいた町) [旅]

2日目は早起きしてカイロ駅へ。210km離れたアレキサンドリアへ列車で日帰りの旅。地中海に面したアレキサンドリアはエジプト第二の都市で、プトレマイオス王朝時代(BC305-BC30)の首都だった。プトレマイオス1世はアレキサンダー大王時代の将軍の一人で、大王の死後、エジプトを得て王となったギリシャ人。クレオパトラ7世がローマに破れて王朝時代は終わったが、ローマ時代やイスラム時代も地中海都市として栄えた。

夜明け.JPG
カイロ駅に向かうときに朝日が昇った。

列車内.JPG
列車の外見があまりにも汚いので恐る恐る乗ったら、特急1等車の車内はゆったりとしていて快適だった。

洗濯物.JPG
エジプトではどの家でも3重くらいに張ったロープに洗濯物が隙間なく干されている。ほとんど雨が降らないので(カイロで年間30mm)、この干し方で乾いてしまう。ホテルで手洗いしたパンツも一晩で乾くほど乾燥していた。

アレキサンドリア駅.JPG
アレキサンドリア駅に2時間半近くかかって到着。

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アレキサンドリア駅を出て路面電車乗り場に行ったら、ゴミが散乱していて、すえたような臭いが漂っていた。電車も古いだけではなく、埃まみれで汚い。

路面電車内.JPG
路面電車に乗っている観光客は私たちのグループだけ。地元の人たちも興味津々で私たちを見ていた。

路面電車内2.JPG
足元にダンボールの箱を置いていたおじさんが中を開けて見せてくれた。なんとウサギちゃんが3-4匹入っていた。身ぶり手ぶりで説明してくれたところによると、食用らしい。ハトを手に持っていた女性もいた。この日は金曜日でイスラムの休日だったので、家でご馳走を食べるのだろうと思った。

市場.JPG
車窓から見えた市場は休日ですごい人出。

ポンペイの柱.JPG
神殿跡に立つポンペイの柱。コリント式の柱で、298年にアレキサンドリアの人々がローマ皇帝のために建てた。

要塞.JPG
15世紀後半、ファロス島の灯台跡地に建てられたカイト・ベイ要塞。

地中海1.JPG
地中海を眺めながら、昨年訪れたトルコのエフェソスを思い出した。クレオパトラはここから船でエフェソスに行ったのか。

地中海3.JPG
エジプト国民の9割はイスラム教徒で、女性はほとんどがへジャブをかぶっている。目だけしか出していない人もたまに見かける。

地中海4.JPG
髪の毛を固めておしゃれしている14歳の男の子。

昼食は海が見えるシーフードレストランで。当然ビールを注文したが、ちょうどモスクから説教がスピーカーで流れていたときで、アルコールは説教が終わってから出しますと言われる。ところが、食事が出てきてからも一向に終わる気配がない。連れ合いは食後酒として飲んだけど、私はキャンセルした。ここの料理は美味しかったので、アルコールなしの食事はとても残念だった。

レストランからのn.JPG
レストランからの眺め。

レストラン.JPG
店にいろいろな魚介類が置いてあって、選べる。

レストラン1.JPGランチ1.JPG
アエイシ用の窯もあり、焼きたてが食べられた。
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メインはエビの焼いたものとヒメジという小さな魚のフライ。どちらも新鮮で美味。
ランチ5.JPG

昼食後、国立アレキサンドリア博物館へ。近年海の中で発見された遺跡の一部もあった。

博物館.JPG博物館1.JPG博物館2.JPG

帰りはバスで砂漠の中の道路を走ってギザのホテルへ。夕食はツアー客が来ない、隠れ家的な会員制クラブのレストランでというので期待していたら、とんでもなく料理がまずかった!モロヘイヤスープは一口飲んだら飲めないほどしょっぱいし、カバブは肉が冷めていた。そのうえ、グラスワインが日本のフレンチ並みに1,200円もしたのに、美味しくない。添乗員のYさんが前回来たときはまともだったらしいので、シェフが代わったのか。

夕食1.JPG夕食2.JPG夕食3.JPG夕食4.JPG夕食5.JPG夕食6.JPG
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エジプトの旅(その2:ピラミッド群を巡る) [旅]

エジプトと言ったら、まず思い浮かぶのがピラミッド。写真でよく見るのはギザの三大ピラミッドだが、ほかにもたくさんある。まず、ギザから少し南に行ったダハシュールで、砂漠の中にある赤のピラミッドと屈折のピラミッドを見た。いずれも4600年以上前に造られたもの。

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途中にナツメヤシの木がたくさん植えられていた。ナツメヤシの実はエジプトの代表的な果物で、生と乾燥させたものがある。

赤ピラミッド.JPG
側面が二等辺三角形のピラミッドとしては最古のもの。赤っぽい石材を使っているので、赤のピラミッドとよばれる。

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屈折のピラミッド。下の角度が52度、上部が43度で屈折している。

次にダハシュールから4kmのサッカラで、階段ピラミッドを見る。サッカラもダハシュールも当時の首都メンフィスの死者を葬るための町、ネクロポリスだった。

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階段ピラミッドは世界最古のピラミッド。

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階段ピラミッドの近くにある祭殿の入り口。4千数百年前のものとは信じられない。

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祭殿の柱廊

現在は廃墟となっている古代エジプト最初の都、メンフィスに移動して、野外博物館を見物。

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3200年前、90歳まで生き、60年間の長きにわたって王として君臨したラムセス2世の巨像。100人以上の子どもがいたらしい。かつては神殿の入口にあったが、地震で破損したため横たわっている。

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博物館にいた少女。エジプトでは人物の写真、特に女性の写真を撮るのが大変だった。了承を求めても断られるケースが多い。カップルだと男性が断ってくる。自分の所有物に手を出すなというわけか。

ランチのメインはシーフード料理で、エビ、イカ、魚を揚げたもの。かまどで焼いたアエイシという中が空洞のパンがエジプトの主食。この中にいろいろなものを挟んだり、付けたりして食べる。ナンのような素朴な味で、焼きたては美味しい。

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レストランでアエイシを焼いていた女性。
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アエイシにつけたり、挟んだりするものが必ず3-4種類出てくる。ゴマ、ナス、ヒヨコマメ豆、ソラマメなどのペーストのほか、ビーツやピクルスもある。
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メインには必ずと言っていいほどライスが付いている。白いご飯のときもあるが、大抵は味つき。その前にパンにたっぷりとペーストをつけて食べているので、ライスは半分も食べられず。
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典型的なエジプトのデザート。小麦粉を麺状にして巻いたものとナッツなどをパイ生地で挟み、シロップに浸けたもの。どちらもすごーく甘い!ちょっと味見しただけで十分。エジプトでは紅茶にも沢山砂糖を入れるみたいだし、とにかくお菓子は日本人には甘すぎるものばかり。太っている人が多いわけだ。

昼食後、いよいよギザの三大ピラミッドへ。ホテルの部屋から眺めていたピラミッドを真下から見上げたら、とてつもなく大きかった。4千数百年の間、地震で倒れることもなく残っているのだからすごい。

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三大ピラミッドはクフ、カフラー、メンカウラーと三代の王によって造られた。

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最も大きいクフ王のピラミッド。平均2.5トンの石灰岩を230万個使い、210段に積み重ねられている。当時のエジプトには奴隷がいなかったので、労働者はナイル川氾濫の時期に仕事がない農民たちだったという説が有力とか。

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大ピラミッドの南側で1954年に発見された世界最古の木造船「太陽の船」。死者が乗って冥界を旅すると言われ、ファラオの葬儀に使われたらしい。千個以上の部材に解体されたため、復元に長い年月を要した。

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船に使われていた縄。数千年経たものとは思えない。

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船が発見された場所。

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ラクダ商売の男たち。ラクダに数分乗って写真を撮るだけで5ドル取られる。私は乗らなかった。

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ピラミッド見物の人たち。

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最後にスフィンクスを見物。ライオンの体と人間の頭をもち、古代エジプトの神殿によく見られるが、ここのスフィンクスは高さが20mもあり、最大。

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スフィンクスの前で、ポーズを取り、写真を撮る観光客たち。

夕食はホテルから歩いてすぐのレストランで。食事の時間になるとアシスタントと称する男性が現れて、ガイドについてくる。他の国ではガイドがすべて取り仕切るが、エジプトでは空港のチェックインなども別の人がやる。なるべく多くの人に仕事を与えるようにしているのか、どうもエジプトのシステムはよく分からない。旅行社はアシスタントにもチップを出すみたいで、エジプト特有の経費が掛かるようだ。

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アエイシ用のペーストやサラダ。
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モロヘイヤのスープ。アテネ在住のAさん宅でご馳走になったことがあり、本場で食べるのを楽しみにしていたが、エジプト育ちのギリシャ人であるA夫人の手料理にははるかに及ばない味でがっかり。このあとも何度か同じスープが出たが、美味しくなかった。
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ターミーヤ。潰したソラマメと野菜を混ぜて揚げたもの。ビールに合う。
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メインはカバブ・ハラというエジプト版ビーフシチュー。
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デザートはライスプディング。
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エジプトの旅(その1:5千年の歴史に圧倒される) [旅]

昨夕、カイロから帰国。機内は往きも帰りもツアー客でほぼ満席。今がシーズンのエジプトは世界中からの観光客で賑わっていたが、日本人が多いのには驚いた。どこに行っても2-3組のツアーと一緒になったほど。旅好き日本人にとっては、古代遺跡がたくさん残る歴史の国エジプトは外せないようだ。

今回のツアーは3日間のナイル川クルーズが含まれ、比較的ゆったりとした旅程だった。参加者は夫婦4組、女性2人、男性1人の11名で、皆さん旅慣れた方ばかり。神戸から参加されたTさんの話から、彼女がかつて私が働いていた組織のトップだった方の秘書をしていたことがあると分かってびっくり!ちょうど30年前、私が入った頃だというから、一度くらい電話で話したことがあったかも。Tさんはほかの参加者二人とも接点があり、つくづく世の中は狭いものだと思った。

正味9日間で主だった古代遺跡を回ることができた。どこに行っても、その古さと壮大さに圧倒され、表現する言葉が見つからない。エジプトの遺跡を前にして、ヒトの起源がアフリカというのが妙に納得できた。最も進化の早かった人たちがエジプト近辺に住み着いて、あの偉大な文明を作ったのかもしれない。

エジプト料理はギリシャやトルコ料理と似ているが、すごく塩辛かったり、逆に味がなかったりといまいちだった。トルコに行ったことのある人たちは私を含め全員トルコ料理を絶賛。まずい料理が出てくるたびに、トルコは美味しかったという話になった。

3日目あたりから生野菜もカットフルーツも食べていたが、お腹の方は全く問題なし。インドの時と違って、胃腸をやられた人は誰もいなかった。季節や旅程にもよると思うが、エジプトではそれほど食べ物に神経質になることはないのではないか。

エジプトで一番苦労するのが買い物。一切値段が付いていないので、いくらか聞いてから交渉を始めなければならない。高い!と言うと、じゃいくらなら買う?と逆に聞かれてしまう。相手の言い値の半値以下から交渉を始め、自分で納得した値段で手を打つことになる。このやりとりは一種のゲームとして楽しんだが、かなり値切っても相場を知らないので、損したのか得したのかさっぱり分からなかった。

エジプトは観光くらいしか産業がないので、その関連の仕事に携わっている人が多い。そして、観光客にいかにしてお金を落とさせるか、皆したたかに研究しているように思える。ガイドはヒエログリフ刺繍を施したエジプト綿のTシャツの注文の斡旋、ドライバーはミネラルウォーターをバスに積んでいて、2本1ドルで販売とサイドビジネスに励んでいる。

アスワンの市場に行った時、イチジクの干したものがないと私ががっかりしていたら、ガイドがこの店の店員が家で採れたイチジクを干したのを持っているので、あとで船に届けると言っていますと。夜、ガイドの部屋でそのイチジクを見せてもらったら、トルコで買ったものとは大違い。ところで、これをいくらで売ると言っているの?とガイドに聞いたら、なんと50ドル!冗談じゃないわよ、金持ち日本人は過去のことよ、甘く見ないで!と言いたかったが、高過ぎるわよと言ったら、20ドルなら買いますかときた。ただでも要らないようなイチジクだったので、当然断ったが、全くエジプト人は油断がならない。

今回は連れ合いが大きなスーツケースを持参し、トルコのように美味しいドライフルーツがあればたくさん仕入れてこようと意気込んで行ったのに買いたいものがなくて残念。エジプトでは食事・買い物には期待せず、ひたすら古代遺跡を見て、その偉大な歴史に浸るのがよいようだ。

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27日深夜、ギザのホテルに到着。翌朝カーテンを開けたら、ピラミッドが見えた。このホテルに3連泊して、毎日ピラミッドを拝む。

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アスワンからカイロに向かう機内からの景色。エジプトの国土は日本の2.7倍だそうだが、ほとんどが砂漠。ナイル川流域だけに農地がある。主食の小麦をはじめ食料は輸入に頼っている。
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明日、エジプトへ [旅]

明日から連れ合いとツアーに参加して、11日間のエジプト旅行に出かける。直行便でカイロまで飛ぶが、往きは14時間半もかかる。もちろんエコノミーなので、到着するまでに疲れてしまいそう。直行便は週3便しかないし、エジプトは今が旅行シーズンということで空席の期待はできない。

エジプト航空はイスラムの国の航空会社なので、アルコールの機内サービスはないそうだ。飲みたければ、出国審査後に免税店で買って持ち込むしかないとか。でも、ホテルやレストランではビールやワインが飲めると聞いて、ほっとした。

以前、ブルネイに行ったMさんがアルコールが一切飲めない国だった、二度と行きたくないと言っていたが、その気持ちがよく分かる。食事の時にワインもビールも飲めないんじゃ、美味しさ半減だもの。

エジプトはインドと同じく胃腸をやられる人が多いようだ。2年前、インド菌の洗礼を受けた私としては十分に注意しなくては。この際はいつもの食い意地を捨てて胃腸を守ろうと思っているが、さて現地に行って食べ物を目にしたら、どうなることやら。

とにかく、ワインとビールでアルコール消毒しながら、食べ過ぎない程度にエジプト料理を試してくるつもり。帰国は2月6日です。

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テニスクラブのHさんが描いた山茶花の絵
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白石の街を駆け足で歩く [旅]

18日、白石蔵王で下車し、遠刈田温泉行きのバスの時刻を確かめたら、発車まで1時間半もあることが分かった。駅で温麺を食べていたら、市内ガイドマップが目に留まる。お城もあるようなので、急遽街を歩いてみることにした。

全く予備知識なしに駆け足で1時間ほど歩き回っただけだが、城下町らしい風情が感じられて、なかなか面白かった。城や武家屋敷の中を見学する時間がなかったのが残念。

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伊達政宗の側近、片倉小十郎が城主だった白石城。平成7年に復元された。

武家屋敷.JPG
武家屋敷

武家屋敷付近.JPG
武家屋敷通り

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沢端川が町中を流れている。

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蔵造りの商家や古い民家が結構多い。

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白石駅前の交番

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古い建物の隣に原色の建物が。

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メインストリートはシャッターを下ろしたままの店が何軒もあった。

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「おいしいごはんの店」に載っている『ピッツェリア・デ・ナプレ』のピザを食べたかったので、帰りはバスで仙台に出た。薪窯で焼かれたピザはサクっとしていて香ばしくて美味しかった!
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青根御殿でお宝拝見 [旅]

不忘閣には青根御殿という伊達藩主のための宿所がある。明治時代の青根の大火で焼失したが、昭和7年に再建された。現在は伊達家ゆかりの品々が展示されているだけで、宿泊には使われていない。希望すれば、宿泊客は朝9時頃より案内してもらうことができる。たくさんのお宝が無造作に置かれていて驚いた。

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泊まった1階の部屋から見える青根御殿。夜9時までライトアップされている。

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400年以上前の石垣が残る。

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青根御殿から仙台方面を眺める。仙台で何か事があれば、のろしで知らせたそうだ。

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山本周五郎が「樅の木は残った」の着想を得たといわれる樹齢400年の樅の木(最も高い木)。

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手作りのガラスがはめ込まれたガラス戸。

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弁当箱など。仙台-青根間は60kmあるので、1日がかりの旅だったらしい。

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狩野探幽の掛け軸などもある。

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武具や裃などの衣類、手鏡など。

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19日の朝食。
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20日の朝食。

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昼はビールと白石名物の温麺(うーめん)。

夕食は2人だけなので、部屋食にしてくれた。たった2人のために、前夜と違う献立を考えるのは面倒だったのではと板前さんに同情しながらも、またまた完食。「ひとめぼれ」で炊いた美味しいご飯までいただく。このほかにお造り、椀物もあった。

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先付け
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前菜
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仙台牛の炙り寿司
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金目鯛のカブト煮
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銀だらの粕漬け
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雉鍋
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車えびと山菜の天ぷら
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いもだんご。中に豚肉などが入っていて美味。
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ホタテの酢の物。すりおろしたりんごがホタテにマッチしていた。
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ワタリガニの味噌汁。カニをしゃぶっていたら、仲居さんがいまどきの若い人はカニはダシをとるだけと思っているのか、汁だけ飲んでカニには全く手をつけない人がいるんですよと。私だったら、なんてもったいないことをするのと言いたくなってしまうけど。
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デザートはシャーベットと柿2切れ。
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秘湯巡りの旅-青根温泉 [旅]

東日本の「大人の休日倶楽部」会員パスを利用しての東北秘湯巡りの旅、今回は雪の季節を考慮して、比較的近い宮城県にした。ネット上でも評価が高く、以前から気になっていた青根温泉の「湯元 不忘閣」で誕生日を祝うことにする。

東北新幹線白石蔵王駅で下車して、宮城交通バス遠刈田温泉行きに乗り1時間ほどで終点の宮城蔵王ロイヤルホテルに到着。青根温泉はそこから旅館の迎えの車で10分足らず。

不忘閣は伊達藩の湯治場として開かれて以来、400年以上続いている温泉宿で、現在の湯守で21代目だそうだ。山本周五郎など多くの文人も泊まっている。

お風呂は内風呂のみだが、5つある。露天風呂好きの連れ合いはいまいち気が乗らなかったようだが、行ってみたらあまりに見事なお風呂ばかりで、すっかり魅せられたみたいだ。食事も美味しいし、サービスも行き届いているし、再訪するなら、鶴の湯とこの不忘閣かなというくらい私も気に入ってしまった。

この時期は最も空いているらしく、18日は6組12名、19日はなんと私たち2人だけだった。ここは日帰り客をとらないので、結局一日中すべてのお風呂が貸し切り状態!いやはや最高に贅沢な秘湯の旅となった。

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2階から見た旅館の玄関口

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部屋は6畳と10畳の2間でトイレはウォッシュレット

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お休み処には日本酒・こんにゃくの味噌おでん・つまみ・お茶・コーヒーなどが用意されていて、自由に飲める。湯上りに冷えたお酒は美味しかった!

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天文15年(1546年)、伊達藩主の御殿湯として建設された大湯は2年の工期を経て復元された。石組の浴槽を保存して、青森ヒバを使い、土壁とした。シャワーや蛇口は一切なく、脱衣所もなく、衣類を入れる籠が脇に置いてあるだけ。

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蔵湯。明治初期の大きな土蔵が4棟あり、一番奥の土蔵にゆうに10人は入ることができる大きなヒノキのお風呂がどーんと置いてある。このお風呂は貸し切り専用(無料)で、一人でもグループでもOK。ここもシャワーや蛇口はなく、大湯と同じく籠のみ。

蔵湯への道.JPG
蔵湯への道

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土蔵の外観

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新湯。新湯と言っても400年の歴史がある。

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御殿湯。御殿湯は2つあり、これは小さい方。

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昔は湯治客を泊めていたが、現在は食事処に使われている部屋。

夕食は和食のフルコースで、順番に出てきて温かいものは温かいうちに食べられたのが嬉しい。味もよく、すべて平らげてしまったが、ちょっと食べ過ぎだった。2品くらい少なくて、ちょうどよかったかも。

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先付と前菜
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お椀(あいなめ)
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お造り(鮪、鯛、ぼたん海老、ホッキ貝)
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十割そば
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子持ちカレイの煮物
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目抜けと牡蠣の焼物
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和牛胡麻味噌鍋
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ふぐ三彩揚げ、ふきのとう揚げ
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穴子茶碗蒸し
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酢の物(鱒白菜巻き)
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仙台麩とレタスの味噌汁
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デザート(抹茶小倉ケーキ、イチゴ、わらび餅)
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台北最後の夜は豪華ディナーで [旅]

3日目の午前中は故宮博物院へ。地元の小学生や中学生も来ていて、相変わらずの混雑ぶり。2時間後に集合することにして、それぞれ勝手に見て回る。私は何度も来ているので、特別展「雍正帝-清世宗文物大展」だけを見た。この特別展は清朝三代目の君主、世宗雍正帝の時代の文物を展示しているが、北京故宮博物院の所蔵品も出品されている。国民党政権になってすぐに故宮博物院の院長が変わったし、北京故宮博物院と協力して展覧会を開くなど、台湾と中国の関係に変化が生じてきているようだ。

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大阪から修学旅行に来た高校生たちもいた。

見終わったあと、MRT士林駅にタクシーで出て電車に乗る。別行動のMさん夫婦と雙連駅で別れ、われわれ5人は「阿桐阿寶四神湯」で、豚の大腸とクコや蓮の実などを豚骨と米酒で煮込んだ薬膳スープを食べる。夜にフルコースで食べることになっていたので、粽を一つだけとって皆で味見し、スープだけのお昼にした。

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薬膳スープ

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屋台に近いローカルなお店。

ここから、私たち夫婦だけで徒歩15分の茶問屋「林華泰茶行」へ。親戚からウーロン茶を頼まれていたので、3種類のお茶をそれぞれ1斤(600g)ずつ買う。ここは試飲ができないし、単位も1斤からしか売ってくれない。

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お店に日本語ができる人がいたので、説明してもらう。

ホテルに戻り、2時間ほど休憩してから、いよいよ豪華ディナーへ。MRTに乗り、5つ目の大坪林駅で降りる。温泉で会った湯さんという女性の携帯に電話したら、駅まで迎えに来てくれた。ご主人が経営する「豪鼎飯店」はすぐ近くだったが、入ってみて、あまりに広いのでびっくり。結婚披露宴によく使われるらしい。

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湯さんとご主人の荘さん。

1000元(3000円)のコースを予約しておいた。温泉で会ったときに豆苗炒めが食べたいと湯さんに話したので、それも出してくれた。豆腐と豆苗炒め以外の料理は、一人一人皿に盛って運ばれてきた。

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○○様宴客と書かれたメニューも印刷されて出ていた。
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前菜三品は、かぼちゃの煮物、山くらげの煮物、白ニガウリの甘酢漬け
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揚げ豆腐の塩卵炒め。湯さんのおごり。
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ホタテとアスパラの炒め
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フカヒレのスープ
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ハムの蜂蜜漬け。薄い中華パンにハムと湯葉を挟んで食べる。代表的な湖南料理の一つ。
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エビのレタス乗せ
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伍仔魚という白身の魚の蒸し物
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干しアワビとナマコ
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豆苗炒め。湯さんのおごり。
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カラスミ入り炒飯
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デザート

台湾に行っても高級な店には一切行かないので、高級食材にはとんとご無沙汰だった。何年振りかで、フカヒレやナマコを食べることができて満足!東京なら1万円はとられるわねという話になったが、1000元で食べられるなら、たまにはこういう店もいいかもと次のツアーの参考にすることに。
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烏來の温泉でのんびり [旅]

2日目は、二手に分かれて行動。Mさん夫妻とIさんは新幹線に乗ってみたいということで高雄に日帰り旅行。私たち夫婦とI夫人、Kさんの4人は烏來の温泉でのんびりすることにした。

MRT淡水線の終点駅、新店で降り、そこからタクシーを拾う。以前1人で行った際はバスで行き、奥にある滝までハイキングしたが、今回は小雨が降っていたので、温泉入浴だけにした。タクシーに烏來までいくらか聞いたら、600元というので、連れ合いが交渉して400元に値切る。走り出すときに運転手が指さす方向を見たら、看板に烏來まで600元と書いてあった。公定料金は600元らしいが、帰りにホテルで呼んでもらったタクシーは500元だったから、交渉次第なのかも。

20分ほどで、春秋烏來渡假酒店に到着。ここは、2002年オープンの高級リゾートホテルで宿泊料金が4万円~10万。とても泊まれないので、いつも日帰り入浴のみ。平日だと700元(2100円)で、時間制限はない。

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内風呂は2つあり、ジャグジーやスイッチを入れると上からお湯が出て、打たせ湯になる装置もある。サウナがあるので、小さな水風呂もあった。

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屋根付き露天風呂

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ロッカーに衣類や持ち物を入れて、タオル2枚と浴衣を受け取る。

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すべて揃っている化粧室。

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休憩室。目の前の川を眺めながら、寝椅子で本を読んだりできるようになっている。コーヒー・紅茶などの温かい飲み物もジュースなどの冷たい飲み物もセルフサービスで飲める。すべて無料。

ほとんどの時間を3人でおしゃべりしながら、露天風呂で過ごす。私たちが日本人とわかり、1人の台湾女性が話しかけてきた。日本に何度も来ている方だった。ご主人が湖南料理のレストランを経営しているというので、ハムの蜂蜜漬け(富貴火腿)ありますか?と聞いたら、あるわよ、ぜひ食べに来てと誘われた。それじゃ、台北最後の夜は豪華版でいこうと翌日の夕食を予約する。露天風呂での思わぬ出会いが私たちを素晴らしい晩餐会へと誘ってくれた。旅はこういうハプニングがあるから面白い。

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昼食はタクシーの運転手さんに聞いた新店駅近くの麺屋さんで。

麺屋の小菜.JPG
昆布、干し豆腐、豚の耳の小菜をとる。それぞれ30元(90円)。

麺屋の牛肉麺.JPG
お店で一番高い麺にした。柔らかく煮た牛すね肉がたくさん入った麺が90元(270円)。

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ホテルに戻る前に南門市場の大連食品に寄って、カラスミ、ドライマンゴーなどを買う。ご主人に似た若い人がいたので、聞いたら息子さんだった。

夕食は高雄から戻った3人と一緒に全員でホテルから徒歩10分の「杭州小籠湯包」へ。ここは鼎泰豊の半分の値段で食べられる。缶ビールも小菜も自分で取りに行くシステムなので、サービス料をとられることもない。小菜6皿、小籠包2皿、野菜蒸し餃子2皿、焼き餃子2皿、牛肉を巻いたもの1皿、餡入り小籠包1皿、缶ビール10缶で、1人当たり600円くらいだった。

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小菜
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小籠包
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野菜の蒸し餃子
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大餅捲牛肉
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焼き餃子
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餡入り小籠包
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二二八記念館で台湾の歴史のお勉強 [旅]

昨夕、台北より帰国。18日の出発時とは違い、師走らしい気温になっていて寒さが身にしみた。台北は19日だけは晴れて気温が20度くらいあったが、あと2日は雨模様の天気だった。晴れオンナの威力は1日だけしか通じず、今回は雨オンナのパワーに屈した。

1日目は天気が良かったので、まず町中を歩こうと台大医院へ案内。最初の見学場所が病院とはねえと言われたが、日本統治時代の建物の中ではここが私のお勧め。1階のホールは多くの患者で溢れていたため、早々に引き揚げ、近くの二二八記念館へ。

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台大医院

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玄関を入るとドーム型天井のホールがある。

台北を訪れても二二八和平公園には行くが、記念館に入る人は少ない。現に仕事で数十回以上台北を訪れている連れ合いも初めてだったくらいだ。入館料は65歳以上は無料ですよと見学に来ていた台湾の方に言われた。日本人もですか?と聞いたら、もちろんですと。それで、われわれグループの半数は無料で入場。

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二二八記念館。日本統治時代は放送局だった。

運良く、蕭錦文さんという日本語ボランティアガイドがいらして、話を聞くことができた。84歳の蕭さんは日本語教育を受けた世代で、二二八事件の被害者でもある。志願兵となり、シンガポールで日本兵として訓練を受け、ビルマに送られたこと、戦後台湾に復員してからは二二八事件が起きて、殺されそうになったことなどを語ってくれた。夏に見たドキュメンタリー映画「台湾人生」に登場した方に似ているなあと思ったら、当のご本人だった。

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ボランティアガイドの蕭錦文さんの話を聞く。

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殺されたり、行方不明の人たちの写真。ところどころ写真がなくなっているので、蕭さんに聞いたら、国民党の馬政権になってから、取り去った家族がいるらしい。

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銃殺された方の服と妻宛ての最後の手紙。日本語で書かれている。昨年一緒にここに来たNさんは、「愛する妻へ・・・」で始まるこの手紙を読んで、思わず落涙した。

最後に蕭さんから、ご自身の紹介や総統府と二二八記念館でのボランティアガイドの日程を記した印刷物をいただいたが、それには教育勅語も印刷されていた。私はその場にいなかったが、蕭さんは今でも教育勅語を暗記していて、すらすらと言えたと同行のIさんが驚いていた。教育がもたらす影響は大きいと今更ながらに思う。

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記念館前にある健康道を歩く。私は痛くて何歩も歩けない。

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二二八和平公園には幼稚園の子どもたちがたくさん来ていた。

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総統府の前から台北駅方面を見る。

記念館で蕭さんのお話をじっくり聞いたあと、総統府は外から見るだけにして、タクシーで鼎泰豊へ。割とすんなり入れたが、日本人ツアー客が多かった。いつもの小籠包などを食べて満腹。帰りに近くの「泌園」で、ご主人の講釈を聞きながらお茶をいただいて、買物。

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鼎泰豊では、泡菜、小籠包、蝦シューマイ、豆苗の炒め、鶏スープ麺を食べた。

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泌園でお茶を試飲させてもらう。

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女性だけで近くのかき氷で有名な氷館に寄り、冬限定のお汁粉を味わう。小豆と白玉入りとサツマイモと白玉入りの2種類を分けて食べた。台湾の甘味類はあまり甘くないので好き。

ホテルで2時間ほど休憩してから、夕方女性4人とIさんの5人で西門のチャイナシューズの店「小格格靴坊」へ。姪に頼まれた、黒のチャイナシューズらしい柄の靴を買う。私は履いたことがないが、以前買った人たちの中には履きやすくて重宝しているので、何足も買えばよかったという人もいる。

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西門紅楼の前に大きなクリスマスツリーが。台北では、ホテル、お店、博物館に至るまで、あらゆる場所にクリスマスデコレーションがなされていた。

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関東煮と看板に書かれていたので、なんだろうと見てみたら、おでんだった。

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紅楼前の花屋のおばさん。2年前にここを通ったときに日本語で話しかけられた。店を覗いたら、お顔が見えたので、今度はこちらから声を掛ける。相変わらず、お元気そうで良かった。

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紅楼前のカフェの名は「渋谷歩道」。カクテルが「調酒」というのもなるほどとうなづける。漢字は便利。

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小格格靴坊で、姪の靴を1足買った。インターネットのサイトにあったクーポンを印刷していったので、1割引きとなり、540元(1620円)。

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靴屋さんのお孫さんが履いている靴が可愛い。Mさんがお孫さんのおみやげに買おうとしたが、店にはなかった。

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西門町は台北の原宿か渋谷といったところで、断然若者が多い。

夕食は毎度お馴染みの「喫飯食堂」で。Sちゃんとシドニーの高校で一緒だったという台湾女性Eさんも加わり、にぎやかな食事となった。Sちゃんはその夜からEさんの家にお泊りで、私たちとは別行動になる。

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蒸しキャベツ
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蛤とヘチマの蒸し物
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牡蠣の豆鼓炒め
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アスパラと長イモの炒め
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菜の花の炒め
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豆腐とカボチャのスープ
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ニガウリの卵ソースかけ
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イカ団子
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蒸し蝦
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レバー炒め
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きんかん

9人で、これだけの料理を食べ、ビール3本、紹興酒1本飲んで、1人当たりたったの1300円!
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ルアンパバーン再訪の旅(その8:ハノイで食べる) [旅]

ハノイで食べたのは4食。24日は夜8時近くにホテルに着いたので、夕食はホテルにある中華レストランで。中華では、ハノイで3本の指に入るというだけあって、美味しかった。25日は、昼食はグループ別で、私たち女性4人組はハノイ名物のつけ麺、ブンチャーをダックキムという専門店で食べた。夕食は昨年と同じベトナム料理の有名店「Cay Cau」で最後の食事。丸1日のハノイ滞在だったけれど、いろいろな料理を味わうことができて満足。

24日の夕食:ハノイホテルの中華レストラン

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泡菜とピーナツ
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ホタテの炒め
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蒸しエビのニンニクソース
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5種の野菜料理
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鶏の揚げたもの
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炒飯

25日の昼食:ダックキム
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ブンチャー。そうめんのような細い米粉麺、山盛りの香草類、焼いたつくねと豚肉、揚げ春巻きを青いパパイヤの薄切りが入った甘酸っぱい汁に入れながら食べる。春巻き・麺・香草はこれで2人分、つくねと豚肉は1人分。量が多すぎて完食できず。4人で2人前でちょうどよい量。地元の人は2人で1人前食べていた人や残ったものを持ち帰る人もいた。

値段は1人分5万5千ドン(275円)。どこにも書いてないので、確かめようがなかったが、どうも外国人価格のような気がする。帰国してからネットで調べたら、4万ドンから6万ドンまで値段がさまざま。ベトナム人と行ったら安かったと書いてある記事もあった。昨年から因縁のブンチャーだが、まあ美味しかったからいいか。

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店の1階と店の前で春巻きを揚げているところ。

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回転はいいが、お客が入れ代わり立ち代わりやって来て、常に満席に近い。

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昼食のあと、カフェで一休み。コーヒーとビールの値段が同じ(2万ドンー100円)だったので、私だけビールにした。

25日の夕食:Cay Cau

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エビが入ったココナッツ味のスープ
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生春巻き
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豚の炭火焼
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青菜の炒め
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イカとセロリの炒め
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バナナのフランベ
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チーズケーキ
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プリン

このほかに鶏肉のフォー、ワインボトル1本、ビール2本、ミネラルウォーター、コーヒーなどの飲み物も入れて、1人当たり1,500円。デザート類はどれも甘さを抑えた味で美味。
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ルアンパバーン再訪の旅(その7:喧騒の町、ハノイ) [旅]

24日の夕方、ハノイに移動。ラオス航空のプロペラ機で山を越えると1時間弱でノイバイ空港に到着。ハノイは丸1日だけなので、旅行社には空港の送迎のみ依頼。橋が工事中とかで、迂回して市内に入ったため、ホテル到着まで通常の2倍の時間がかかった。

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ラオス航空の国際線は、バンコク、チェンマイ、ハノイ、シュムリアップ間しか飛んでいない。

25日は朝食後、女性全員と用心棒代わりの連れ合いの8人で、お目当ての干しエビを買いにドンスアン市場へ。当然、値段がついていないので、筆談で値段を聞いたが、どこもほぼ同じ。それに交渉してもまけてくれない。観光客にはこの値段でと協定しているのではと疑った。それでも日本で買うよりずっと安いし、品質もいいので、大量に買う。おみやげにしても喜ばれるし、自宅用にも重宝する。

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ハノイホテルの部屋からの眺め。スモッグで曇っているかのように見える。

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ドンスアン市場

いったん、ホテルに戻り、チェックアウトして荷物を預けてから、3グループに分かれて行動。男性3人とAさんは戦争博物館や美術館へ、M夫人と娘さんのSちゃんはショッピングやマッサージへ、私たち女性4人は水上人形劇とシルク通りへ。そして、夜は予約しておいたレストランで集合することにした。

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水上人形劇。料金は2等席で4万ドン(200円)。演奏や歌は生。言葉が分からなくても、楽しめる。

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最後に人形遣いの人たちが挨拶。水の中に入って人形を操るのは、体は冷えるし、重労働だろうなあ。

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ハンガイ通り、いわゆるシルク通りを歩いて、ショッピング。私は今回ハノイでは干しエビしか買わなかった。

ハノイの街に一歩出ると、すさまじいばかりのオートバイの洪水と騒音。それに排気ガスがすごくてマスクなしには歩けない。信号が少ないので、道路を横断するのに一苦労。慣れるまではホントに命がけだ。車やバイクがクラクションを鳴らすこともなかったラオスとはあまりにも対照的な世界。皆、お金を稼ぐのに必死という雰囲気が伝わってくる。

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バイクが庶民の足。

道路を渡る際のコツについては、Sさんのブログに書いてあります。

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路上では、いつとはなしに食べている人が多い。

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フランスパン売りのおばさんは携帯で電話中。

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伝統的な編み笠ではなく、ブラウスに合った色の素敵な帽子をかぶっている物売りの女性。

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こちらは昔と変わらぬ姿。

天秤棒を観光客に担がせて、お金を取る女性がいたのにびっくり。去年は見かけなかったから、最近の商売か。いかにもベトナム的な物売りの天秤棒を担いで写真を撮りたがる観光客がいるのを見て、思いついたのだろう。ベトナム女性は商魂たくましい。

夕方、疲れたので、大教会の前でタクシーを拾った。地元の人が運転手に行き先を告げてくれたので、安心していたら、徒歩20分くらいの所なのに20分乗っても着かない。地図で行く先を何度示しても分かっているというジェスチャーをするが、これはおかしいと途中で降りた。メーターはちゃんと動いていたので、料金5万8千ドン(290円)は一応支払ったが、2千ドンのおつりをよこさない。たかが10円でもこの運転手にはあげたくないと、チェンジ、チェンジと叫んだら、やっと渡してくれた。

降りた場所が暗いし、どこなのか見当がつかなくて、またタクシーを拾うかどうか迷っていたら、つかさず別のタクシーが寄ってきた。でも、また遠回りされたら大変と乗るのを止める。

とりあえず、信用できそうな人に聞こうと、身なりのいいビジネスマン風の男性にレストランの住所を言って聞いたら、意外に近くて歩いて行けることが分かった。そのあとも何人かに道を確かめながら、集合時間15分遅れで、ようやく無事到着。

一時はあの悪徳運転手め!と怒り心頭だったが、帰国してから冷静になってみると、運良く観光客を拾ったのだから、ちょっと稼ごうと思っただけなんだろうなと許せる気持ちになった。ハノイはタクシーが多過ぎるし、ガソリンも上がっているし、運転手も必死みたいだ。

ドンスアン市場からの帰り、私とは違うタクシーに乗った連れ合いはメーターが壊れているから、ホテルまで6万ドンと言われ、それじゃ降りる、5万ドンなら乗ると言ったら、5万ドンで行ってくれたそうだ。行きは2台のタクシーとも6万3千ドンだったのに、5万ドンじゃ運転手が気の毒だったかも。

ハノイは、なんやかんやで面白いけど疲れる町。10年前は貧しかったけど、もっとのんびりしていてよかったのになあと思うのは観光客の身勝手というものでしょうね。
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ルアンパバーン再訪の旅(その6:ラオス料理) [旅]

ラオス料理は隣国、タイやベトナムの料理と似ている。タイではソムタムと呼ばれる青いパパイヤのサラダ、タムマークフンがあるし、ベトナムと同じような揚げ春巻きやフランスパンのサンドイッチなどもある。

ラオスの主食はもち米。白米のほか、赤米、紫米といろいろあり、手で軽く丸めて食べる。毎日食べていても結構飽きない。Sさんは、おこわをすっかり気に入って、もち米を買って帰ろうかなと話していたくらい。麺はベトナムのフォーと同じく米粉でできている。きしめんのような麺に辛味がついたひき肉が入っていて、そこに生野菜を乗せて食べるカオソーイが代表的な麺料理だ。

ラオスを代表する料理といえば、包丁でたたいた挽肉に熱を通し、ハーブ類やスパイスで和えたラープ。肉は鶏、豚、牛といろいろあり、魚を使う場合もある。メコン川で採れる川海苔を使ったカイペーンは、胡麻などをまぶし、干した海苔を油で揚げたもので、ビールのおつまみに合う。

ラオスは海がない分、ベトナムやタイと比べると料理の種類が限られるが、野菜をたくさん使うので、ヘルシーで素朴な料理が多い。

ホテルでの朝食:プーシーホテル

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ホテルの朝食はビュッフェではなく、フランスパン1本、おかゆ・麺・オムレツから1品、フルーツジュース、フルーツ、コーヒーというメニュー。おかゆや麺を食べると、フランスパンは半分しか食べられなかった。

22日の昼食:洞窟の対岸にあるレストランで。

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おこわ(カオニャオ)
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菜の花入りスープ
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鶏肉とタマネギの炒め
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カイペーン
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揚げ春巻き
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魚のラープ
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スイカ

22日夕食:「エレファント」という市内のフレンチレストランで。ラオスでフランス料理を食べても仕方がないので、ラオス料理にしてもらう。今回食べた中で、一番美味しかった店。料理もサービスも洗練されていた。大繁盛の店内で、オーナーとおぼしきフランス人のおじさんがワインをちびりちびりやりながら、目配りしていた。

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フランス人経営の店だけあって、ワイングラスも本格的なもの。ビアラオは他の店では大瓶が2ドルだったのにここは小瓶で2ドルと高い。
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牛肉と青菜が入ったスープ
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豚肉の炭火焼
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牛肉のラープ
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肉団子を揚げたようなもの
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野菜の炒め
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カイペーン。昼に食べたのと違って、油っぽくなかった。辛い味噌も付いていて、これと一緒に食べると日本酒にも合いそう。
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魚のすり身を蒸したもの
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デザートのフルーツもいろいろな種類が入っていた。

23日昼食:カオソーイのみ。ずっとフルコースで食べ続けると胃が疲れるので、麺だけの昼食をと出発前にアムノンさんに頼んでおいた。

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カオソーイは自分で好きなように調味料や野菜を入れて食べる。野菜はすべて生。

23日夕食:市内の中華レストランで。最も美味しくなかった店。

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野菜のスープ
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アヒルと小松菜のような野菜
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シイタケと白菜の炒め
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揚げ春巻き
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揚げ豆腐とトマトの炒め

24日昼食:市内のレストランで。
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カオニャオ。少しだけ赤いおこわだった。
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野菜と小さな卵のスープ
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ラオスのソーセージ、サイ・コーク
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揚げゆで卵のあんかけ
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野菜の炒め
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鶏肉のラープ
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スイカとパパイア
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ルアンパバーン再訪の旅(その5:市場探訪) [旅]

ルアンパバーンにはスーパーもコンビニもない。町の中心部で毎朝開かれる朝市と郊外にあるプーシー市場が地元の人々の生活を支えている。夜、メインストリートにオープンするナイトマーケットは観光客相手の店。この3つの市場に行ったが、それぞれに面白かった。

朝市は青空市場で、道端に野菜などを並べて売っている。

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野菜類は採りたてと思われる新鮮なものばかり。

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メコン川で採れる川海苔。

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とうふは固め。

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稲作だから、イナゴもいる。

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ラオス風ソーセージはレストランでよく出てくる。ラードが少なくさっぱりとした味でビールに合う。

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海がないラオスでは、魚は川で獲れるものだけ。

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海の魚は干物。

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ニワトリはブロイラーではないので、肉が締まっていて美味しい。

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お惣菜も売っている。

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炭火で焼いた魚、鶏、豚などの串焼きを買って、ホテルの朝食時に皆で分けて食べた。

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いろいろなラオス風ファーストフードを売る人もいる。焼きバナナとコロッケ風揚げ物を買って、歩きながら味わう。

プーシー市場は少し市内から外れた所にあり、生活に必要な物はすべて揃う。ノートと米もここで購入した。

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店は大抵女性が仕切っている。

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子守しながら、店番。

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高菜漬けに似た漬物があったので、試食させてもらう。発酵したような酸味が出ていて美味しかった。買って、レストランでの食事時に皆で食べたら、おこわにぴったり。

メインストリートを埋めつくすナイトマーケット。夕方になると、大きな袋に品物を入れた女性たちが店開きに集まってくる。

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子どもも働き手。品物を並べるのを手伝っていた。

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ラオス伝統の布製品を売る店が多い。

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モン族の古い布を使った品を売っている女性の店で、バッグを5ドルで買う。

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フランスパンのサンドイッチの店は朝から夜まで、あちこちに出ている。
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ルアンパバーン再訪の旅(その4:路地を歩き回る) [旅]

2日目と3日目の午後は自由行動。皆それぞれにマッサージに行ったり、街中を探索したりした。私は朝5時半頃に起きて、連日1時間ほど散歩していたので、町の中心地の様子はほぼ掴めた感じ。ルアンパバーンは歩き回るのにちょうどよい大きさの町で、メインストリートは全長2kmくらいしかない。表通りから路地に入ると地元の人たちの生活が垣間見られて、面白い。毎日歩いていても全く飽きなかった。

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早朝のメコン川。

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掃除をする人。

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朝晩は冷えるので、火を焚いてあたっている人を見かける。

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もち米を蒸かしている。普通の家ではガスは使っていない。燃料は薪か炭。

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茹でた鶏肉を刻んでいた男性。何に使うのが聞いてみたかったが、言葉通じず。

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朝市でバナナを買って、自宅に戻る女性。

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観光客に托鉢用の花を売る子どもたち。子どもも朝からよく働く。

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托鉢のおこわをお坊さんからもらって歩く子どもたち。今日一家が食べる分は確保できたのかな。同行のMさんがラオスには物乞いがいないねとおっしゃったが、仏教とともに暮らしがあり、喜捨という文化が根付いているからかもしれない。

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こちらはおこわを売る側なのか、おこぼれに与ったほうなのか不明。

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メインストリートの建物。フランス統治時代の面影を残しているものが多い。

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路地に入ると、昔ながらの高床式の家もある。

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至る所にあるのが、ゲストハウス。1泊10ドルから20ドルくらいで泊まれる。

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メインストリートやメコン川のほとりにある洒落たカフェ。

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お寺や家々に一番多い花。舟の舳先にもこの花の鉢植えが置いてある。神聖な花なのかもしれない。

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緑多い小道。

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昼間歩いていると、お寺の境内にいる若いお坊さんたちによく会う。サバーイディー(こんにちは)と声を掛けると皆、愛想良くサバーイディーと返してくれる。たまに英語を話すお坊さんもいる。

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メコン川を車を積んで下るフェリー。

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メコン川のほとりのマッサージ屋さん。川を眺めながらマッサージを受けたかったが、歩き回っていたら時間がなくなってしまった。

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瓶の栓を使って、将棋らしきことをしている。

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縫い物をしている女性。

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カーン川のほとりで木の実を採っていた女性。食べさせてもらったら、美味しくなかった。

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ヘルメットをかぶって、これからお出かけの素敵な熟年夫婦。

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私たちの車のハンサムなドライバー。

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ラオスの女性も日焼けしないよう気をつけている様子。

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お父さんのオートバイで。

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小学校の前で。休み時間に遊ぶ子どもたち。

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小さな子どもはどこの国に行っても愛らしい。

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2日目の午後、カーン川に橋を架けているのが見えた。丸太と竹の橋でもう少しで完成しそうだった。翌日再び行ったら、出来上がっていたので、渡って向こう側の村に行く。

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村では、米の粉の麺を干していた。ベトナムで生春巻きに使うライスペーパーと同じやり方。

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アヒルがつついて食べようとしている。


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ルアンパバーン再訪の旅(その3:学校とモン族の村を訪問) [旅]

2日目は郊外のモン族の村を訪問することになっていた。ノートや鉛筆を日本から持って来たので、学校に寄りたいという話を前夜にしていたら、ガイドのアムノンさんが親がいない子どもたちが通う学校があるから、そこへ行きましょうと提案してくれた。ところが、生徒が500人もいると分かり、持参した物だけでは到底全員に行き渡らない。

それでは、現地調達でいこうと、なんでも揃う郊外のプーシー市場に行き、ノート500冊を購入した。それに加え、私の義妹と彼女のお姉さんがもち米100kgを買った。彼女たちのお父さんが生前、地元の養護施設にもち米1俵を送り続けていたので、その遺志をラオスで果たしたいとのことだった。

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ノート500冊で59ドル、新米の一番上等なもち米が100kgで60ドルだった。それを車に積んで、郊外の学校へ向かった。校長先生が出迎えてくれ、簡単な贈呈式をする。授業の休み時間に生徒たちに直接手渡してくださいとおっしゃってくださったので、女性たちで配った。

この学校の生徒は6歳から18歳までで、全国から集められている。寄宿舎は30人くらいの大部屋で、食事は昼と夜の1日2回だそうだ。この国では、1日2食でもきちんと食にありつけるだけ、幸せなのかもしれない。育ち盛りの子どもたちが朝ご飯なしでは辛いだろうなあと思うのは飽食の国に住む日本人だからか。

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学校へのゲート。

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上級生が門番をしていた。

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校庭を挟んで両脇に校舎が建てられている。

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校舎の周りには畑もある。

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授業風景。1クラス数十人の生徒でぎっしり。

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校長先生(向かって右)とガイドのアムノンさん。

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校長にいろいろ質問して、状況を聞く。校長から、現在3人の生徒が病気で入院していて、治療費が不足している。皆さんからその費用を援助していただけると助かるという話があった。それで、Sさんが1万円、全員で5千円出して、1万5千円を寄付してきた。

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贈り物を前に整列した年少の子どもたち。

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休み時間になると、子どもたちがいっせいに校庭に出て来た。

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皆でノートを配る。

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生徒たちの明るい笑顔がとってもいい。

毛布を寄付したと話していたカリフォルニアからの女性に学校で会った。アムノンもこの学校に来たのは初めてだったらしいが、欧米人には知られているのかもしれない。Sさんがこういう学校訪問をツアーに組み入れるといいのにと話していた。

学校訪問のあと、モン族の村へ。モン族は中国の雲南あたりから南下してきたと言われる山岳少数民族で、ベトナムやタイにも住んでいる。ラオスのモン族はベトナム戦争時にアメリカ軍の傭兵として戦ったため、ラオスが社会主義になった1975年以降は難民としてタイに逃れた人が多い。

クリント・イーストウッド監督・主演の映画「グラントリノ」に出てくる家族がモン族だ。難民キャンプから、アメリカやフランスに渡った人たちも多いらしい。

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モン族の村。

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村から向かい側を見ると山ばかり。

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村の中の風景。

アムノンさんから、モン族の子どもたちにお菓子をあげると喜びますよと聞いていたので、托鉢用のお菓子を残しておいて2袋のキャンデーを持参した。ところが、出会った子どもに1個ずつあげていたら、そのうちに10人くらいの子どもがわっと集まってきて、ボンボン(フランスの植民地だったせいか)と叫んで、我先にと手を伸ばす。要領のよい子は、もらったアメをさっと口に入れ、また手を出す。私が並びなさい!と叫んでも(もちろん日本語で)無駄だったし、そのうちに親まで出てきて、うちの子にあげてくれと言うし、収拾がつかない状態に。

こんなことになるなら、キャンデーを20袋くらい持って行って、アムノンさんから整列するよう言ってもらってから配るのだったと後悔。ルアンパバーン市内の子どもたちとはまるで違う反応に驚いてしまった。それだけ、貧しいということなのだろう。

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モン族の子どもたち。

同行のSさんの画像掲示板にモン族の村の素晴らしい写真が載っています。
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ルアンパバーン再訪の旅(その2:観光名所巡り) [旅]

ルアンパバーン初めての人がほとんどだったので、1日目と3日目は昨年と同じような観光名所を回った。まずはメコン川クルーズ。托鉢や朝市を見学したあと、朝食をとってから舟に乗る。1時間半ほどメコン川を上ると、バーン・サンハイという小さな村に着く。ここではラオスの伝統的な焼酎「ラオラーオ」が造られていて、織物の店などもある。

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船着場には観光用の舟がたくさん停泊している。舟の持ち主は舟で寝泊りしている人が多い。

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私たちの舟は12-3人用で、椅子が新しかった。

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焼酎「ラオラーオ」

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焼酎用のもち米。

焼酎の甕.JPG
この甕で仕込む。

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村には織物の店もたくさんある。

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去年も同じおじさんが楽器を弾いていた。

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子どもも犬もニワトリも一緒に走り回っている、のどかな村。

バーン・サンハイから30分ほど上流に行ったところにあるのがパクウー洞窟。洞窟は2つあって、中には人々が奉納した仏像がたくさん並んでいる。

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パクウー洞窟。

洞窟からの風景.JPG
洞窟の対岸にレストランが3軒ほどあり、そこで昼食をとった。

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レストランに行くために舟を降りたら、物売りの子どもたちがいた。籠の中の小鳥は飼うためではなく、逃してやるために買う。

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レストランの店内。豚の人工授精の指導にラオスに来ているという日本人男性が隣のテーブルだった。今回の旅では、こんにゃく栽培の調査に日本から来る人を待っているという韓国人にホテルで会ったし、ハノイの空港で、ラオス国境に近いベトナムの山間部でいちご栽培の指導をしているという栃木県からの男性にもお会いした。日本がさまざまな分野で技術援助を行っているのを知って、嬉しくなる。

昼食後、再び舟でルアンパバーンに戻り、王宮博物館へ。1909年に建てられた宮殿で、王政廃止後は、博物館になっている。

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王宮博物館

博物館から伝統織物や紙漉きの村、バーン・パノムへ。織物や紙漉きの工程を見せてもらう。手漉きの紙を使った工芸品やカードが安いので、皆で買いまくる。

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糸を染める。

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糸を巻く。

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織る。

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茹でた木の皮からとった繊維を足で踏んで、杵のようなものでつき細かくする。

紙繊維を流す.JPG
繊維を均等に散らし、花や葉を入れる。

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漉いた紙を干す。

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ランプシェードとカードがそれぞれ1ドル。

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ランプシェードは、広げるとこの形になる。

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近所を歩いたら、高級織物の店があり、店員さんも美人。何も買わなかったけど、写真を撮らせてもらう。

昼間は雲が多かったので、夕日見物は明日にしようと話していたら、午後から晴れてきた。まだ落日に間に合うかもとバーン・パノムから町に戻り、メコン川に近い夕日スポットに直行する。ちょうど沈みいくところで、見事が夕日が見られた。

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メコン川が赤く染まって、なんともいえぬ美しい風景。

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夕日見物に集まった観光客。写真を撮りまくるのは日本人だけではありません。

2日目の夕方、希望者のみ町の中心にある小高い山プーシーに登り、再び夕日見物。328段の階段を上ったら、汗をかいた。

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プーシーからの景色。煙がたなびき、夕餉の仕度の雰囲気が伝わってくる。

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飛行機がカーン川を越え、左方向にある飛行場に着陸するところ。

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木の枝が邪魔になって、落日の瞬間がよく見えない。観光客が夕日を見るためにたくさん集まってくる場所なのだから、ちょっと枝を落としてもらいたいなあと思ったが、身勝手というものなのでしょうね。

3日目は、ルアンパバーンを代表する寺院、ワット・シェントーンとワット・マイ、ワット・ウィスナラートの3つの寺院を回る。昼食後は伝統織物工房へ。ここで、また買物。

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ワット・シェントーンは1560年建立のルアンパバーン様式の寺院。境内にはブーゲンビリアが咲き乱れていた。

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ワット・シェントーン本堂裏のモザイクが見事。

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ワット・マイの仏像。

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ワット・ウィスナラートの仏像。

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お寺にある、お札で作られた供物。極楽への階段をあらわしている。

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伝統織物工房の売り場。
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ルアンパバーン再訪の旅(その1:托鉢) [旅]

今朝、ハノイから無事に帰国。ちょうど1年ぶり、2度目のルアンパバーン訪問だったが、3泊したお陰で、今回はいろいろな経験ができた。新しい高級ホテルがオープンし、托鉢用の物売りも増え、世界遺産の町も1年経っただけで、着実に観光化が進んでいる。それでも、ゆったりとした時間の流れと人々のおだやかな表情が少しも変わっていないのが嬉しかった。

ガイドの話によると、やはり世界的不況のせいで観光客が昨年より減っているとのこと。観光以外産業のないルアンパバーンは当然その影響を受けているから大変だ。ナイトマーケットに行っても、昨年と比べるといまいち活気がなかったし、街を歩いている観光客も少ないように感じた。

到着した翌朝、托鉢僧に喜捨するため、それぞれが日本から持参したお菓子などを抱えてメーンストリートに赴く。昨年と同じ場所に行ったら、既にゴザが敷かれていて、持って行ったシートを敷く場所がない。ガイドが交渉して、そのゴザに座れることになったが、喜捨用のおこわを買うのが条件だった。托鉢見物をする観光客目当ての商売が明らかに増えている。それがお坊さんたちの食料確保に貢献するなら、まあいいかとも思えるが、何か釈然としない。

ルアンパバーンにはお寺が80くらいあるそうだ。地元の人たちが食べ物を喜捨して、それらの寺のお坊さんたちを支えている。3日間とも早起きして、托鉢の時間に街の中を歩いたが、毎朝、同じ場所に座って、おこわを喜捨している女性たちを何人も見かけた。ラオスの人たちのあのおだやかさは、信仰心からきているのだろうか。

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6時頃の通り。

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薄暗い中、座ってお坊さんが来るのを待つ。

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喜捨用のおこわを売るおばさん。

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喜捨用の花を観光客に売る子どもたち。ラオスでは子どももよく働くが、インドやカンボジアのようにしつこくない。

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私が買ったおこわとハスの花。それぞれ1ドル。

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私たちのグループ。私は去年買ったシン(ラオスのスカート)を身に着けた。手前の男性は1日目だけガイドをしてくれたキヨウさん。彼も11歳から10年間ビエンチャンのお寺にいて、毎朝托鉢に回ったそうだ。

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お隣のタイからの観光客。同じ仏教徒で、言葉も似ているので、ラオスの人たちにとって一番親近感がある。

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首都ビエンチャンから来た若い3人。こちらはお札やキャンデー、果物を用意していた。おこわの上にお札が乗っているときがあるが、ラオスのもち米は粘り気がないので、お米がお札にくっついたりしない。

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托鉢の風景。毎朝、数百人のお坊さんがそれぞれの寺の近くを托鉢に回る。寺の食事は朝と昼の2回。

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カゴや箱を持ち、托鉢の後ろに控えていて、お坊さんからおこぼれをもらう子どもたちがいる。

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観光客がほとんどいない通りで見た地元のご婦人たち。皆さん、サンダルを脱いで、裸足になっていた。お坊さんたちも裸足だから、それが礼儀なのかも。

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早朝、ホテルの隣のお寺に行ったら、地元の人たちがおこわとスープのようなものを届けに来ていた。それを托鉢に出ていない留守番のお坊さんが受け取っていた。
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再びラオスへ [旅]

明日から1年ぶりにラオスへ。ハノイ経由で世界遺産の町、ルアンパバーンに行き、3泊したあとハノイに1泊して26日に帰国予定。昨年、初めてラオスを訪れ、おだやかな人々とのどかな雰囲気にすっかり魅了されてしまった。行くなら、観光化されていない今のうちだと、今年も企画した。

前回は連れ合いの高校同級生とその妻たち16人での旅だったが、今回の参加者は私の友人や親戚などを中心に総勢10人。ラオス二度目は私たち夫婦と連れ合いの同級生Sさんの3人。男性3人、女性7人で、年齢層は60代を中心に30代~70代。南極にも行ったことのあるMさん夫妻など旅好きのメンバーが多いので、楽しい旅になりそう。

昨年はルアンパバーンに1泊しかできなかったので、今年はフリータイムも設けて、のんびり街歩きを楽しむことにした。現地ガイドは昨年と同じアムノンさんという青年にお願いした。彼とは昨年のラオス訪問以来、時折メールのやりとりをしていて、昼食は麺類が食べたいなど、こちらの希望をいろいろ伝えてある。

托鉢用のお菓子や未使用の温泉旅館のタオル20枚、古着のシャツ類数枚を入れたので、珍しくバッグがパンパンだ。シャツやジャンパーは捨てるには忍びないが、リサイクルショップに持って行くのも面倒という品で、だれかが使うならとホテルの部屋に置いてくるつもり。昨年もハノイのホテルで、部屋の掃除をしていたバイトの女子学生に言ったら、もらってくれた。

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黒大根・パプリカ・ルッコラのサラダ。ここ2-3日、冷蔵庫にある野菜をやりくりしての料理ばかり。今夜で野菜室は空っぽにできそう。
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